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パルティアは国内の社会的相違が激しく

パルティアは国内の社会的相違が激しく、それを反映して政治体制は地方分権的であった。領内に多数の従属王国を抱え、また無数の領主が存在していた。社会的階層として頂点にいたのは王族たるアルサケス氏族であり、アルサケス氏族の出身者のみがパルティア王位、及び従属王国の王位に付く事ができた。また従属王国の王位は厳しく序列分けされたが、インド・パルティア王国のように事実上の独立王国といえる状態に到った王国や、一時バビロニアを制圧して強勢を誇ったカラケネ王国などの例からもわかるように、時代によって各王国の地位、立場は変化した。

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パルティア内の主要な王国
ペルシス王国
インド・パルティア王国
カラケネ王国
エリマイス王国(エラム)
アルメニア王国(厳密にはパルティア内の王国とは言い難い)
アトロパテネ王国(メディア)
アディアバネ王国

7大貴族
パルティアで大きな影響力を振るった7つの氏族があった。

パルニ氏族
スーレーン氏族
カーレーン氏族
ミフラーン氏族
アスパーフパト氏族
ソーハ氏族
ダーハ氏族
これらの大貴族らの中には、サーサーン朝時代にまで影響力を振るったものもあった。この7貴族はその領地経営において、パルティア中央政府の影響を受けることはほとんど無く、王に近い地位を保持していた。この7家氏族の中でも特殊な地位にあったのがスーレーン氏族であり、軍司令官の地位を世襲したほか、王位継承の儀式においてパルティア王に戴冠する役割を持っていた。

この他にも中小の貴族が存在し、これらの貴族は重装騎兵として軍事力の根幹を担っており、パルティアの政治体制の基層を成した。

ギリシア人ポリス
パルティアが征服した領域、特にメソポタミアなど西部には多数のギリシア人ポリスが存在した。これらのポリスはセレウコス朝以来自治組織を持っており、また伝統的に親セレウコス朝、親ローマの政治傾向が強かった。パルティアの政治闘争の中でしばしば現れる親ローマ派の勢力の支持母体となっていたのがこれらのポリスであった。このためセレウコス朝やローマとの戦争の際に敵となりかねないこれらのポリスは、同時にパルティアにとっては文化・経済の面では必要不可欠な存在でもあり、パルティア首脳部の頭痛の種となっていた。

ポリスの自治はパルティアによる征服初期にはセレウコス朝時代からほとんどそのまま継続されたが、長期に渡るセレウコス朝やローマとの戦争を通じて、パルティアの指導者達はポリスの自治権縮小を追求した。最大の転機となったのは紀元前6年にローマの支持の下で即位したヴォノネス1世と、アルタバヌス2世との間で戦われた内戦である。この内戦ではギリシア人ポリスの大半がヴォノネス1世側に加担したが、最終的にアルタバヌス2世が勝利に終わった。これ以後パルティア内でのギリシア人の政治的地位が著しく低下し、ギリシア人ポリスの自治権も失われた。

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2009年04月25日 14:28に投稿されたエントリーのページです。

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